「止まれなかった私へ」~双極性障害になった頃の話~

双極性障害と診断されたばかりの頃。

それは、私にとって「肩書き」が一つ増えたような気がして、急に自分が社会の外側に押し出されたような気がした瞬間でした。

みんなが普通に働いて、普通に生活して、普通に笑っている。

それなのに、私は何もできない。

病気を受け入れる前に、まず「このままじゃいけない」という焦りのほうが強くて。

「休む」ことよりも「早く立ち直らなきゃ」「仕事を見つけなきゃ」って気持ちに駆られていました。

仕事をしては、辞める。その繰り返し

思い返せば、あの頃はまるで空回りする歯車のようでした。

体も心も追いついていないのに、「頑張れば何とかなる」と信じて、いくつもの仕事に応募して、面接を受けて、仕事を始めてみる。

でも、実際に働き出すと、朝が起きられない。

頭がボーッとしてミスが増える。

体が鉛のように重くて、出勤するだけで精一杯。

それでも「迷惑かけたくない」「負けたくない」と必死に耐えるけれど、結局続かなくて、辞める。

そのたびに、落ち込んで、自分を責めて、ますます「社会に必要とされていない気持ち」だけが大きくなっていきました。

「どうして私はちゃんとできないんだろう」

「普通の人なら、こんなこと当たり前にできるのに」

そんな言葉ばかりが頭の中をぐるぐるして、泣くことすらできなくなる日もありました。


休むことは、逃げじゃない

今振り返ってみて思うのは、「あの時の私は、止まることを怖がっていたんだな」ということです。

世の中には「頑張っている人が偉い」という空気があります。

でも、病気になったときに本当に必要なのは、”頑張ること”じゃなくて”休むこと”なんです。

どんなに足を引きずってでも前に進もうとしていた私は、本当は休まなければいけなかった。

倒れているのに、無理やり走ろうとしていた。

だから余計に傷ついて、回復がどんどん遠のいていったのかもしれません。

「とことん休んでいい」

「誰とも比べなくていい」

「今は”自分を取り戻す”時間なんだ」

そのことに気づけたのは、失敗をたくさん繰り返した後でした。


小さなことでもいい。「できた」を集める

何もできない、と思っていた私にも、「できること」はちゃんとありました。

朝、布団から出られた日。

コンビニまで歩いて行けた日。

洗濯物を干せた日。

お風呂に入れた日。

どれも普通のことかもしれないけれど、その日その時の私にとっては、立派な「頑張った」でした。

何か大きな目標を達成することじゃなくて、小さな「できた」をひとつひとつ、自分の中に積み重ねていく。

それが、自分を信じ直すための、第一歩だった気がします。


自分をとことん、労わるという選択

双極性障害という病気は、波があります。

良くなったと思っても、また落ち込んだり、動けなくなったりすることもあります。

そんなとき、自分を責めるのではなく、「ああ、今はそういうときなんだな」と認めてあげることがとても大切です。

泣きたいときは泣いていい。

何もできない日は、ただ休んでいい。

苦しくなったら、SOSを出していい。

社会のペースじゃなくて、自分のペースで。

誰かの期待じゃなくて、自分の心にやさしく応えること。

それが、再び「生きていく力」を取り戻す。いちばんの近道なのかもしれません。

最後に

あの頃の私が、今の私の言葉を聞いたら、少し驚くだろうな。

「そんなにゆっくりでいいの?」って。

でも今なら胸を張って言えます。

いいんだよ。ゆっくりで。

止まっても、戻っても、歩き出せる日はちゃんと来るから。

どうか今、焦りの中にいるあなたにも、この言葉が届きますように。

そして少しでも、心が軽くなりますように。